こんにちは。
最近スノーボード行きた過ぎて発狂寸前の濱田です。
今週末からシーズンインする予定ですが雪がどうなる事やら・・・
只でさえ今季は前季より1週間遅らしたのに・・・
降ってもらわないと精神がイカれる!
(今の状態が既にイカれる状態かもしれませんが)
今回はそんな精神がイカれる寸前の私が贈る映画感想です。
それはアニメ映画「GODZILLA」シリーズ。
ポリゴン・ピクチュアズ製作による長編アニメーション映画。
特撮映画の代名詞であるゴジラシリーズの
初長編アニメーション映画作品。
<全3部作>
第1章『GODZILLA 怪獣惑星』
2017年11月17日公開
監督:静野 孔文・瀬下 寛之
原案・脚本:虚淵 玄
第2章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』
2018年5月18日公開
監督:静野 孔文・瀬下 寛之
原案・脚本:虚淵 玄
第3章『GODZILLA 星を喰う者』
2018年11月9日公開
監督:静野 孔文・瀬下 寛之
原案・脚本:虚淵 玄
今回紹介するのは第3章『GODZILLA 星を喰う者』。
何故これを書こうを思ったか?
最終章でもある本作は前2作の完結編であり集大成でもあり
何よりゴジラ最大のライバル(?)である
「キングギドラ」が登場する作品だからです。
(キングギドラ好きなんで)
では行きます!
『GODZILLA 星を喰う者』
2018年11月9日公開
<あらすじ>
最後の希望であったメカゴジラシティが陥落し
ゴジラに敗北したハルオ(主人公)達。
そんな絶望の中、神ギドラによる世界終結と祝福を説くエクシフの教えは残された人類にとって希望の光となっていく。
一方で宇宙ステーションに残されたビルサルド達がゴジラに敗北した要因がハルオにあるとしクーデターを起こしていた。
そして時が満ち、ギドラが異空間より出現しその圧倒的な存在は宇宙ステーションを飲み込み
そしてゴジラを、地球をも飲み込もうとしていた・・・
結論から言います!
面白くない!!!!!(発狂
何が面白くないかって??
映画としてのストーリー構成が絶望的に酷い。
映画の中で登場人物達の会話劇がひらすら続く・・・
声優が好きな方なら良いかもしれない。
登場人物が好きなら良いかもしれない。
会話劇が好きなら良いかもしれない。
その会話劇が演出や構成に工夫がされているなら
良かったかもしれない。
現に映画『シン・ゴジラ』でも会話シーンは数多くあります。
しかしテンポやリズムが非常に精密に計算されていました。
その為映画としての完成度は非常に高いものになっています。
しかーーーし本作はそれが無い!!
冒頭から会話劇が続くのですがそれが延々続きます・・・
もうゴジラじゃなくても良くない?
映画じゃなくても良くない??
映像を観なくても、自分で考察しなくても
登場人物が全て解説説明してくれる。
これは映画なんかと!
小説を聴いているんじゃねぇんやと!!
朗読会かココはと!!!
一番酷いのがゴジラとギドラの対決シーン。
今作のポスターが公開されましたが
これです
↓
この図から一切動きません!!!
ゴジラとギドラの怪獣バトルが観たかったのであって
登場人物の会話劇を観たかった訳ちゃうねん!!!
ギドラが登場したシーンは「おっ!?」となりましたが
その後はひたすらゴジラとギドラが絡まっているだけ!!
何やねん・・・
アニメならではの映像や演出を期待していただけに
これはアカン・・・
しかも本作のゴジラバトルはこれしか無い!!
一番の問題はゴジラvsギドラで決着する訳ではなく
ハルオvsメトフィエスになってしまっている点。
人間vs人間で決着って・・・
これゴジラ映画ですよね???
ゴジラで決着ではなく人間同士で決着ってどういう事よ?
そして本作は非常に宗教色が強い。
「神を崇めよ」
「神を信じよ」
「神が全てから救ってくれる」
「神を信じれば救われる」
(この場合の「神」=「ギドラ」)
ゴジラ映画でこんな言葉を聴くとは思いませんでした。
「ゴジラ」=「核への象徴」だったのでどうにも受け入れがたい・・・
そしてラストシーンの不気味さ。
最終の一連シーンが訳分からん!
第2章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』ラストでの結論
「人としてゴジラに打ち勝たねば意味がない」
ラストシーンでそれを覆してませんかね??
ーーーーーーーーーー<ネタバレ>ーーーーーーーーーー
『「人として」ゴジラに打ち勝つ事で地球を人類の手に取り戻す』事がテーマになっているように感じた訳ですが
『GODZILLA 星を喰う者』では「人が人である事を放棄しギドラに頼る事は間違っている」という結論を出し
ハルオは勝利します。
しかしハルオが最後に取った行動は
「ナノメタルという人の負の遺産」と
「ゴジラに対して憎しみの感情を持っている最後の人として」を背負いユウコと一緒に自爆するというもの。
エンドロール後のシーンで人類とフツアが同化し「憎しみ」という概念が存在しないフツアの世界になっています。
その後ハルオは神格化され
恐怖を振り払う為の儀式が描かれていました。
今シリーズのテーマは
「人が人としてゴジラに打ち勝つ事」
だったと思うのですが
「人が人である事を捨てゴジラに屈服する事」
になっているように見える。
※あくまで個人的意見です。
最後のハルオの行動は「人として」の『最後に持ち合わせていた「憎悪」と「恐怖」を「捨てた」』ように見える。
ゴジラに勝つ為には「人として」を捨てなければ勝てない
という結論。
確かにゴジラを倒す為にはそれが必要だったかもしれないが
それは勝利ではない。
ただゴジラに屈しただけ。
何も解決していない。
これから永遠にゴジラの居る世界でゴジラに脅えながら
生きていく事は本当に正解だったのか?
54年版ゴジラ映画第1作目のラスト
「芹沢博士が自身が発明したオキシジェン・デストロイヤーを使い自らの命と引き換えにゴジラを倒す」事で終結します。
これこそが「人が人たりうる」行動だったと思います。
「オキシジェン・デストロイヤー(超科学)」=「人としての存在意義」と思っていますので、それを使いゴジラを倒す事は本当に意味での人類の勝利になっていると感じます。
科学で生まれた存在(ゴジラ)を同じ科学(オキシジェン・デストロイヤー)で倒すという皮肉でもあると思っていますが。
(※人間=科学というのは私の持論です※)
作品が違うのでテーマも違うのは理解出来ますが
ゴジラを倒せとまでは言わなくとも
ゴジラに対して人類の何らかの勝ち取ったモノ
が必要だったのではないかと思う。
これではただゴジラに完膚なきまでに叩き潰されただけで終わってしまっている。
ゴジラに地球を奪われてもた(第1章)
↓
しゃーないから宇宙に逃げるわ(第1章)
↓
やっぱり地球しかないしゴジラ倒したる(第1章)
↓
倒せんかったわ(第2章・第3章)
↓
だから感情捨てて生きてくで(第3章)
なんやコレ??
話が脱線しましたが
本シリーズは「テーマがブレている」というのが私の結論。
※あくまで個人的意見です。
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企画は庵野監督による映画『シン・ゴジラ』と同じ時期に発表され公開媒体は決まっていませんでした。
その後TVシリーズとして企画がスタートしましたが
劇場映画媒体へと変更。
今まで実写特撮で製作され続けていたシリーズをアニメーションという新しい形で製作される事自体は非常に楽しみであり同時に心配でもありました。
「ゴジラは特撮だからこそ良い」というファンも居るだろうし
「アニメゴジラは認めない」というファンも居るだろうし
「アニメは観ない」という方も居るだろうし
かなりニッチな作品になるのではと思っていたからです。
それでも私は「ゴジラ」というキャラクターが好きなので
実写だろうが特撮だろうがアニメだろうが
どんな作品になるか楽しみでした。
アニメという表現が自由な映像作品でゴジラがどんな風に暴れるかを期待していましたが、インタビューでスタッフ陣がアニメゴジラシリーズを「怪獣プロレス映画」にはしないとしていたので、その時点でもうどうしようもなかったですけどね。
私にとって色々残念だったシリーズでした。
というかギドラがやっぱり不憫。
完全な悪役として登場するが故に
必ずゴジラに敗北するというジレンマ。
ビジュアルだけで言えば
ゴジラ映画最高峰の怪獣なんですよね!
まあ一番はビオランテですけどね!!
これは譲れん!!
見よ!この造形美!!(え~
この怪獣を生み出してくれた東宝スタッフには
本当に感謝感激です。(何が?
最後に
来年公開されるハリウッド版第2作目
「ゴジラ/キング・オブ・モンスターズ」
ゴジラ・モスラ・ラドン・キングギドラが登場!
しかも監督によると更にサプライズがあるとか!!
これは非常に楽しみで仕方がない!
ハリウッドが本気を出した「ゴジラ」と「ギドラ」の怪獣バトル!!
トレーラー第2弾も公開されゴジラとキングギドラのプロレスが!!!
これは見物です!
早く観たくて仕方がない!!!
来年は
ゴジラ2にアベンジャーズ4にX-MEN4にトイ・ストーリー4にジョン・ウィック3にターミネーター6にトップガン2と大作映画の続編が目白押し!
やばっ!!
それでは。